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最高裁判所第三小法廷 平成8年(行ツ)46号 判決

大阪市住吉区杉本町一丁目五番七号

上告人

藤本信夫

右訴訟代理人弁護士

大槻龍馬

谷村和治

浅野芳朗

大阪市住吉区住吉二丁目一七番三七号

被上告人

住吉税務署長 嶋津敏幸

右指定代理人

大竹聖一

右当事者間の大阪高等裁判所平成五年(行コ)第三三号所得税更正処分等取消請求事件について、同裁判所が平成七年一一月二一日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人大槻龍馬、同谷村和治、同浅野芳朗の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山口繁 裁判官 園部逸夫 裁判官 千種秀夫 裁判官 尾崎行信)

(平成八年(行ツ)第四六号 上告人 藤本信夫)

上告代理人大槻龍馬、同谷村和治、同浅野芳朗の上告理由

原判決は、訴外(株)フジ医療器の第三期(昭和四一年九月一日~同四二年八月三一日)ないし第六期(昭和四四年九月一日~同四五年八月三一日)内のマッサージ機製造・販売事業の所得に関し、製造部門は個人事業であり、これが同事業創業者の上告人に帰属するとして、被上告人が上告人の昭和四二年度ないし昭和四四年度の所得について行った本件各決定処分を適法であると判断したものであるが右判断は客観的証拠を無視した経験則に反する違法な判断で、その結果所得の帰属を誤り、所得のない上告人に所得があったとする違法な課税処分を容認したもので、判決に影響を及ぼすこと明なる重大な理由不備乃至は理由齟齬の違法があるのみならず、実質課税の原則に反し、憲法第二九条に違反するもので、破棄を免れないものである。

一、本件マッサージ機製造・販売事業の実体

1 訴外(株)フジ医療器創業者の上告人は、戦後タワシ・マット・箒等を浴場に販売していたところ、マッサージ器の販売を有望と考えるようになり、昭和二九年ころから中央医療器からマッサージ機を仕入れて浴場に販売していたが昭和三三年ころ同社からの仕入を拒否され、マッサージ機が単純な機械構造で比較的容易に製作できることから研究を重ねてその製作に成功し、以後これを旅館・浴場などへ持込んで販売するようになった。

上告人は、当初家内工業的にマッサージ器の製造・販売をしていたが、将来的に有望と判断して、昭和三四年に同事業を長男訴外藤本信一郎に継がせるべく勤務先の服地会社を退職させ、原材料の仕入、製造、販売、資金繰り、従業員の指導等を修行させた上、昭和三六年から同事業を信一郎に任せ、機械いじりが好きで職人肌の上告人は、以後気楽な立場で製造部門の製品の品質管理や工員の指導をすることになった。

このようにして、信一郎は昭和三六年から上告人よりマッサージ器の製造・販売事業を引継ぎ、退職金を元手に営業用自動車を購入する等して「フジ製作所」の販路を次第に拡大させたものであり、昭和三六年以降の同事業にかかる税務申告も信一郎が所轄税務署に申告して、申告を是認されていた。

2 信一郎は、その努力により事業が次第に発展したので、昭和三八年末に大阪市住吉区杉本二丁目七三に自宅、工場、事務所を移転して同所でマッサージ機の製造販売業を続けたが、百貨店等の大手取引先を獲得するには法人化することが有利であるとの情報を得たので、税務職員であった義兄吉岡耕三に相談し、その指導を受けて、昭和四〇年四月一三日に(株)フジ医療器を設立し創業者の上告人を名義上の社長にしたが、実際の事業は引続き信一郎が中心となって従業員の採用、原材料や部品の仕入、販売先との交渉、工場生産設備の改善等、製造・販売の業務全般を統括していたものである。

これにより、(株)フジ医療器成立後は、同社がマッサージ器の製造・販売事業の全てを承継したものであり、同社の事業は百貨店等の大手との取引により更に発展して行ったのである。

信一郎は、事業の拡大に伴って増える会社利益の処理についても義兄吉岡耕三の指導を受け、会社の将来に備えて利益を内部留保するため、利益の分散を図り、外形上製造部門を会社から分離し、信一郎個人の「フジ製作所」が製造して会社がこれを仕入れる仮装の経理により、会社の利益を会社と信一郎に分けて資産の貯留を図ることにし、そのため信一郎は昭和四〇年以降も「フジ製作所」でマッサージ器の製造をしていることにして所得税申告をなし、(株)フジ医療器は販売事業についての法人税申告を行っていたもので、右状態は昭和四五年六月に査察調査を受けるまで続いたのである。

然しながら、実際はマッサージ器の製造も(株)フジ医療器の従業員が行っており(甲第一一九号証)、原材料や部品の支払も同社が支払っていたものであり、「フジ製作所」の製造は真実は同法人の事業であり、信一郎の貯留資産も真実は同法人の簿外資産に他ならないものであった。

信一郎は個人事業時代も、会社設立後も、マッサージ器の製造販売事業の売上金から製造の原材料や部品の仕入代、人件費その他の経費を支払った後の利益金を自宅に集めて信一郎自身、又は母幸子が同人に代わって家族や仮名の定期預金をしたり、不動産・有価証券等を購入して管理していたものであり信一郎は仮名の定期預金や有価証券等を自分が秘かに借りていた住友銀行心斎橋支店の貸金庫に保管するとともに、その明細を手帳に記載してこれらの貯留資産を掌握していたものである。

一方、上告人は、同事業を信一郎に任せて後は、同事業の経営者ではなくなり、昭和三六年以降不動産所得と配当所得、会社設立後は給与所得を加えて所得税申告を行い、昭和四五年六月の査察調査までの八年間、所轄税務署の申告是認を受けていたのである。

3 又、信一郎は、マッサージ器製造・販売事業に必要な製造に関する厚生省や通産省の許認可関係や、マッサージ器にかかる実用新案権や意匠権等の工業所有権の申請等も自己の名義で行っていた。

即ち、信一郎は、昭和三九年六月二九日薬事法一二条一項により厚生大臣に製造所所在地を大阪市住吉区杉本町二丁目七三とする医療用具製造業許可申請をなし、同年九月一八日許可を受け、同四三年八月に右許可の更新を受けた他、薬事法一八条一項に定める製造品目の変更についても厚生大臣に変更届書を提出しているのである(甲第五四号証ないし第五八号証)。

又、信一郎は、昭和四二年三月四日大阪通産局長より電気マッサージ機の製造について電気用品取締法第三条の交流電動機等応用機諸類製造事業の登録を受け、日本電気用品試験所理事長に対し電気用品取締法二一条一項の試験申請をなし、製造にかかる各機種について通商産業大臣に宛て電気用品取締法一八条に定める型式認可の申請も行っているのである(甲第五九号証ないし第六六号証)。

更に、信一郎は、製造するマッサージ機に関し実用新案登録(実願三六-一七四五号、実願三八-四五三五九号、四三-一〇六四四号、四四-一八九九一号、四四-一八九九二号)をなし、又意匠登録についても出願登録を行っているのである(甲第六七号証~第七三号証、甲第一二〇号証)。

一方、上告人は、これらの許認可や工業所有権の取得等に一切関与してないのであり、本件マッサージ機製造事業が上告人と関係のないことは、これらの客観的証拠からも明らかである。

4 尚、信一郎は、昭和三九年五月に結婚しているが、その際姉の吉岡美恵や妹の田鶴から同人らの協力で事業が成長したとして利益配分を求められ、同年一二月に備蓄していた資金の中から、美恵、田鶴に各一、五〇〇万円、母幸子に一、〇〇〇万円を分配しており、右事業はマッサージ機の製造販売業による利益から貯留した資産を信一郎が支配していた証左であるが、上告人は右事実を全く知らなかったのであるから、上告人が右利益を支配していなかったことは明らかである。

5 以上のように、本件マッサージ機製造販売事業は、昭和三六年以降は信一郎の事業として、昭和四〇年の(株)フジ医療器設立後は、同社の事業として行われていたことが明らかなのである。

二、被上告人の査察調査の問題点について

ところで、被上告人は、信一郎申告の仮装のマッサージ機製造事業の所得について、昭和四五年六月一八日大阪国税局と共同して同人を所得税法違反の犯則嫌疑者として査察調査を行ったものであり、信一郎は和歌山の知人や住友銀行心斎橋支店の貸金庫に保管していた貯留資産を任意提出したが、前記の如く(株)フジ医療器のマッサージ機製造販売事業の製造部門についての仮装経理の指導を受け税務申告書作成等を依頼していた義兄吉岡耕三が現職の税務職員であったため、そのことを口外することが出来ず、査察官に曖昧な説明ばかりしていたので、査察官から極めて頼りない人間と思われた。

そのため、吉岡耕三の関与を知らない査察官は、実際の製造事業経営者は信一郎ではなく、製造技術に精通している上告人であると思い込み、信一郎が薬事法、電気用品取締法に基づく製造業の許可を受け、登録をしていた事実や特許・実用新案、意匠登録等の出願をしていた事実等を無視し、以後は、上告人がマッサージ機の製造は勿論、販売部門、管理部門のすべてを統轄指示していたもので、信一郎は上告人の補助者に過ぎないという方針で調査を進め、信一郎の提出した貯留資産を中心に、その線に沿った質問顛末書、関係書類等が作成されて行ったのであり、査察を受けて動転していた信一郎や上告人ら家族一同は、冷静な判断も、充分な主張もできず、事実に反し、矛盾があっても査察官らのいうままになっていたのである。

その上で、査察官は犯則嫌疑者を信一郎から上告人に切り替えて検察庁に告発し、検察官は昭和四六年二月二三日、上告人と信一郎を共謀による上告人のマッサージ機製造事業にかかる所得税法違反疑義事件で逮捕し、査察官とともに連日取調を行い、更に両名の勾留期間が延長されて、吉岡耕三を除く上告人信一郎及び家族らの「上告人がすべてを指揮していた」旨の供述調書が作成され、同年三月一三日に上告人がマッサージ機の製造業を営んでいた者で、その事業所得を申告しなかったとして、昭和四二年ないし昭和四四年分の所得について、所得税法違反で公訴を提起されるに至ったのである。

三、刑事裁判について

1 上告人らは、刑事裁判においては、弁護人のアドバイスも受けたことから、実体に則して、昭和三六年以降のマッサージ機製造販売事業者は長男信一郎であり、(株)フジ医療器設立後は製造を含めて同社の事業であるから、昭和四二年度ないし昭和四四年度の同事業の所得は同社に帰属し、上告人に帰属するものではないとして、ありのままの事実を主張するに至り、その後税務職員を退官した吉岡耕三も本件マッサージ機製造販売事業の実態の詳細を弁護人に明らかにするに至ったのである。

2 ところで、税法違反被告事件は損益計算方式によって検察官の立証が行われるのが原則であるところ、査察官も検察官も(株)フジ医療器より多数の帳簿、書類等を押収しながら、極めて容易な同社のマッサージ機製造販売事業を正確に把握しなかったため、右刑事事件において検察官は右方式によることが出来ず、信一郎が提出した貯留資産を中心にした財産増減方式によって行われるに至ったもので、それ自体主張の脆弱性を表すものであった。

検察官が損益計算方式によってマッサージ機製造部門の所得金額を特定し得なかったのは、証拠物である(株)フジ医療器の第五期売上金額合計元帳(甲第八六号証)、同期大阪売上元帳(甲第八七号証)、及び第六期売上帳(甲第八八号証)等が取引の実態に添わないものであり、(株)フジ医療器の仕入価格からフジ製作所のマッサージ機製造事業の損益計算書を作成することが出来なかったからである。

右帳簿等が実態に合わなかったのは、そもそもマッサージ機の製造も(株)フジ医療器が行い、フジ製作所から製品を仕入れているわけではなかったからであるが、吉岡耕三は会社の利益を分散するためフジ製作所から製品を仕入れていたように仮装しているものの、仕入れの実体がないため、真実の取引なら当然フジ製作所が作成する筈の売上伝票・納品伝票・請求書、仕入伝票、売上帳等を作らず、会社の決算時に会社の売上帳の売上金額の隣の欄に、次の表に基づき、先ず〈8〉のその年度の法人所得額を決定し、これから逆算して決定した〈3〉の仕入高に符号する仕入価格を一括記帳し、同社の損益計算書を完成させるとともに、フジ製作所の売上元帳にも右仕入価格を併記する方式で一括記帳していたからである。

〈省略〉

右のように、(株)フジ医療器の損益計算書の仕入高の金額は、創作した数字であるため、これを基礎に出来るだけ矛盾なく各機種別の仕入単価や数量を転記しても、不突合が生ずることが多いため、いつでも書き直せるように鉛筆で記入して、何回も仕入価格を書き直した上、最終案の仕入価格を各機種別に帳簿に一括して浄書していたのが真相である。

而して、甲第八六号証は、第五期売上合計元帳の原稿段階のもの、甲第八七号証はこれを浄書したものであって、この両者の存在は右状況を雄弁に物語るものであり、このことは昭和四五年六月一八日の査察時に押収された会社の進行中の第六期(昭和四四年九月~昭和四五年八月)の売上帳(甲第八八号証)に全く仕入価格の記入がないことからも明らかである。

従って、浄書された第五期の大阪売上元帳(甲第八七号証)は、(株)フジ医療器の決算時期に同社の利益調節のため吉岡耕三が創作した仕入価格を記入した仮装の売上元帳であり、吉岡美恵が質問てん末書(乙第二七号証)第四項に、右大阪売上元帳を示されて、「機種別仕入価格は(株)フジ医療器の事業年度の始めに父(上告人)より聞かされ、それを私が記録してその年度の販売会社の売上に対してフジ製作所よりの仕入金額を記帳しており、この機種別仕入価格は事業年度の中途で変更したことはなくずっと同じ価格で計算し、仕入額は売上元帳で計算している」旨供述している記載は、査察官の意思で歪められたものであり、客観的証拠により認められる事実に反することが明らかである。

3 右の他にも、査察官の調査結果は、(株)フジ医療器とフジ製作所で右のような仮装経理を行っていたことを認めずに作成したため、製造部門の経理に関し、関連の帳票書類との間に多くの不合理や矛盾が見られるのである。

(1) 昭和四六年一月二〇日付川崎査察官作成の「(株)フジ医療器の公表売上金額及び仕入金額の調査書類」(甲第六四号証)には、吉岡美恵の確認書二通が添付されているが、右各確認書はいずれも美恵が坂本八郎査察官から原稿及びメモを与えられて指示どおり適当に作成したものであり、現実に存在する和歌山関係の売上記録(符三八二号)等の客観的資料の内容と矛盾しており、内容が一致していない。

(2) (株)フジ医療器の仕入価格は、前記のごとく吉岡耕三が決算期に一度に記入したもので、日々の取引台数や価格、支払代金等を記入したものではないため、フジ製作所に対する支払金額の記載と誤差が生じているが、川崎査察官は会社の総仕入金額が右調査に基く総仕入金額より少ないときはこれを値引として、多いときはこれを計算違いとして処理している。

然しながら、もともと売買の存しないところに値引契約や計算違いがある筈がなく、誰と誰とで値引の合意をしたかも明らかにしていないのであって、右調査処理は不合理な辻褄合わせに他ならない。

又、同査察官は、前記のように、査察時の(株)フジ医療器の第六期(昭和四四年九月~同四五年八月)の売上帳(甲第八八号証)に仕入価格の記載が全くないところから、已むなく前記の売上帳の昭和四四年一月から同年八月分までの資料から差益率を算定しこれを適用して推定計算を行なっているが、右は誤った前提による根拠のない不合理な推定計算であり、有用な調査書類として全く使用できないものである。

同査察官は、証人尋問で、右調査書類に関して第六期売上帳(甲第八八号)に全く仕入金額の記載がないのは、マッサージ器の製造も(株)フジ医療器の事業であるからではないかとの尋問に対して「私にはとんとわからない」と答えているであり(甲二五号証)、同査察官自身、製造部門の帰属について確信を持っていなかったことが明らかである。

(3) 昭和四六年一月二一日付森本査察官作成の「フジ製作所に対する手形・小切手支払明細書と題する調査書類」(甲第三四号証)によれば、(株)フジ医療器のフジ製作所に対する製品仕入代金に見合う支払手形は振出期日が毎年四月から八月の間に、支払期日が九月から翌年一月の間に限られていて明らかに不自然であり、森本査察官も仕入代金の支払手形がこのように限定された時期に集中している異常性を認めているが(甲第三一号証)、右は実体の取引がないことを如実に表しているものである。

吉岡耕三はこの点につき、「会社は製造を個人がしているように見せかけるため支払手形を発行しているが、実際に取引があるわけではなく、本来手形を発行する必要はないので、会社の決算時に法人の所得を決定した上で一括して発行したものであり、発行日は適宜遡らせて、その頃に発行したように見せかけた。」と真実の経理操作の経緯を説明し、さらに昭和四四年九月分と一〇月分の一部は既に材料業者や部品業者に小切手で当座預金から引出して支払っていたものを、「フジ製作所」に手形で支払ったようにするため、後日小切手と差替える処理をした事実も述べており、これを裏付ける手形・小切手の控えも現存しているのである。

そして、会社の決算貸借対照表の作成に当たっては、資産勘定は各科目の公表金額を表示してこれを合計し(〈1〉~〈17〉)、負債・資産勘定では〈25〉の当期利得金は前期の利益を参考にして、これに若干の上乗せをした金額を当期利益金と決定して記入し、買掛金と支払手形を除く勘定科目を合計した上(〈20〉~〈25〉)、資産勘定との差額を買掛金と支払手形を分けて記入したものであり、吉岡の説明(甲第三四~三九号証、甲第四九~五一号証)は関係書類や証拠物と一致し、これが真実であることは明白である。

〈省略〉

4 ところで、現職税務職員が親族の関係にあるとはいえ、法人税の逋脱を指導したことは極めて遺憾であるが、だからと言って真実を歪めて事実認定することは裁判の性格上許されないものである。

然るに、刑事判決は冷静な判断を欠き、物証を無視して強引に進められた査察調査と検察捜査の段階で作成された供述調査と査察官調査書類によって、同事業所得は上告人に帰属するものであると認定したのである。

然しながら、以上述べた経緯からも明らかなように、本件マッサージ器の製造も(株)フジ医療器が行っていたのが真実であり、マッサージ器製造事業による所得は昭和三六年以降昭和四〇年の(株)フジ医療器設立までは信一郎に帰属し、同社設立後は同社に帰属するものであることは、物証等の客観的証拠や吉岡耕三の詳細な説明等により明らかなのである。

因みに、(株)フジ医療器は査察調査後の昭和四五年度以降、マッサージ器製造部門も同法人の事業であるとして法人所得を申告しており、今日までこれを是認されているのである。

四、本件訴訟について

刑事の公訴提起と相前後して被上告人に対してなした本件各決定処分について、上告人は異議申立てをなし、その棄却決定に対して大阪国税不服審判所に対して審査請求を行っていたが、刑事事件の推移を見守っていた大阪国税不服審判所は、昭和四二年ないし四四年度のマッサージ器製造事業による所得を上告人の所得であるとした被上告人の課税処分について、刑事事件の確定を経た後になって、漸く裁決を行ったが、不服審判所としての独自の判断を怠り、査察官らの調査書類のみを採用して、信一郎はマッサージ機の製造について知識が乏しかったから製造事業の経営者である筈がないとして上告人の請求を棄却したのである。

然しながら、製品製造の知識、技術がなければ製造業の経営者になれない理屈はないのであって、被上告人の主張は強引に上告人を製造事業の経営者にしようとする牽強付会の主張であり、帰属しない所得に課税をするのは実質課税の原則に反するので、上告人は右事業所得は自己に帰属するものではないとして、本件行政訴訟を提起するに至ったのであるが、本件の第一審判決も、原判決も被上告人が提出した起訴前の査察官、検察官作成の上告人をはじめとする関係者の、物証と矛盾する大量の質問てん末書、査察官調査書類供述調書等のみを採用し、客観的な証拠や、刑事事件起訴後にあるがままの真実を語った上告人ら家族の供述や、吉岡耕三の証言、橋本長周の査察官に対する確認書(乙第五六号証)についての同人の証言(甲第八九号証)、平田タカ子の照会回答書(乙第五八号証)についての平田彰三郎の証言(甲第九〇号証)等を全く無視して上告人の主張を認めなかったものである。

然しながら、被上告人が提出した乙号証は、上告人がマッサージ器の製造業を営み全従業員を指揮していたという誤った方針に基づいて進められた査察過程で作成されたものが殆どであり、その主張は前記のような記帳上の工作により、(株)フジ医療器と別にフジ製作所という製造業者が存在していることにして作成された法人の貸借対照表や損益計算書を基礎にして、同製造部門に関して根拠のない各種の勘定科目を勝手に創設し、合理性のない推計計算によってこじつけた数字をはめ込んだ上、上告人の昭和四二年乃至昭和四四年分の事業所得を作り上げたもので、客観的事実に反するものである。

このことは、(株)フジ医療器から押収された多数の証拠物や、これについての吉岡耕三の証言等を冷静に検討すれば自ずから理解できる筈なのである。

然るに、原判決は前記のように査察官によって工作された外形事実を真実であると判断し、上告人が主張するような客観的な証拠やこれに基づく供述や証言を無視して本件の真相を見誤ったものであり、第一審及びこれを支持した原判決の右の如き証拠の判断、事実の認定は著しく経験則に反する不当なものであり、違法であると言わねばならない。

仮に仮装経理によって存在するとされているマッサージ器の製造が、(株)フジ医療器の製造部門によるものではなく「フジ製作所」の事業と見做されるものであるとしても、(株)フジ医療器が約束手形や小切手等を振り出した相手は信一郎であり、昭和三六年以降の同製造事業の経営者は信一郎であって上告人ではないのであるから、同事業の所得は信一郎に帰属すべきものであり、いずれにしても上告人の事業所得ではないのである。

従って、原判決が上告人に昭和四二年度ないし昭和四四年度においてマッサージ機製造事業の所得があり、これが上告人に帰属すると判断したことは明らかに事業所得の帰属実体を見誤ったものであり、かくては上告人は本件マッサージ機製造事業の所得がないのに所得があったとして課税処分を受ける不当な結果となるものであり、到底容認し得ないものである。

五 よって、更に適正な裁判を求めて、本件上告に及んだ次第である。

以上

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